2011年4月5日火曜日

最近の読書


地震があった後、最初はテレビのニュースを見ていたのだけれど、なんだかどのニュースを見ても悲しくなってしまうので、次第にテレビは付けなくなってしまい、その分本ばかり読んでいた。この家に引っ越してからは、本当にテレビを見なくなった。たまに見たいドラマや映画があったりするのを新聞欄で確認するのだけど、見忘れることの方が多くて、まあそれならそれでいいやと思ってしまい、本当にテレビを見なくなってしまった。娘も同様に見ないので、子供番組のキャラクターすら全然知らない。たまにテレビをつけていても、娘は「テレビけすからねー!」と言ってすぐに消してしまう。そして娘も同様に本ばかり読んでいる。絵本が本当に好きで好きで、絵本を読み続けていたら何時間でもじっと聞いていると思う。寝るときには、毎日自分で読みたい本を選んで、布団の中で楽しみにして待っている姿は微笑ましい。私も昔から本が好きだったので、同じように本好きに育ってくれるのは嬉しい。そして、確実に娘の語彙は絵本から増えているなあと思うこの頃。時々びっくりするような言い回しをするので、「どこで覚えたの??」と思うけれど、思い出してみるとそれはみんな絵本からの言葉なのだ。その語彙を使って、想像力を働かせて自分だけの物語を作って話してくれたりするので、それもとても楽しい。

私が最近良く読んでいるのは、三浦しをんさんの本。三浦さんは町田で育ったとのことで、4月には、町田を舞台にした直木賞受賞作「まほろ駅前多田便利軒」という作品の映画が公開される。その関連のイベントが町田では目白押しで、今まで興味はあったけれど未読だった「まほろ駅前多田便利軒」を読んでみた。町田が舞台ということで、まだ引っ越してきて4ヶ月ではあるけれど、これはあの辺かな?これはどの辺りのことだろうか…?などと想像しながら読んでいたら、あっという間に読み終わってしまった。登場人物がみな魅力的で、「これは映画や漫画になりそうだなあ。」と思って楽しく読み終えたら、映画はもちろん、漫画にも既になっていたのだった。納得。その後、三浦さんの著作を立て続けに読み、エッセイなど読んでいたら、三浦さんは漫画(特にボーイズ・ラブ)が好きらしく、なるほど、読んでみた他の著作も男性がからむ作品が多かった。そしてやっぱり映画や漫画になっている作品も多いらしい。それにしても文章がとても上手く読み応えがあり、一冊読み終わるとすぐに次の作品を読んでみたくなる。短編などは、章ごとに全くタッチが違う作品が並んでいたりで、ページを捲るのが楽しかった。エッセイはエッセイで小説とは違ってすごく軽い感じが面白い。でもやっぱり私は小説のほうが好き。wikipediaを見ていたら、「好きな行為は妄想」と書いてあった。いいなあ、妄想。私も妄想は大好き。

三浦さん以外では、辻村深月さんの「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」がとても良かった。タイトルが不思議だなあと思って興味も持ったのだけれど、その意味を知ったとき、「ここで出てくるとは…!」と衝撃を受けた。色々考えさせられる内容だったけれど、今の自分にとって、読んで良かったなあと思う作品だった。

2011年4月4日月曜日

食べること


先日、友人家族が遊びに来てくれた。お昼はいつもながらの持ち寄りにしたのだけれど、3家族で持ち寄ったらとても豪華な食卓になった。大勢で食べることって幸せだなあと思える時間だった。

最近の娘はなんだか良く食べる。昔から良く食べる方だったけれど、途中、なんだか遊び食べの時期があって、食卓に座ってもなかなかきちんと食べてくれずに悩んだ時期もあった。でも、周りの先輩お母さん達には「時期が来れば食べるようになるよ」なんて言われていたけれど、最近は、そんな時期があったことを忘れてしまうくらい本当によく食べる。特に、お肉が大好きで、おかずの中でもお肉を探しては「おにく!おにく!」と言ってお肉だけ選んで食べたりする。唐揚げ、ハンバーグ、ヒレかつなんかも大好きで、この間は一口ヒレかつを一人で4枚くらい食べていて驚かされた…。大人よりも食べている。

幼稚園が始まると、一人でお弁当を食べることになるけれど、園の友達と楽しく食べてくれるかな、お弁当には何を詰めようかな、そんなことを考える日々。自分の作ったご飯をもりもりと食べてくれる人がいるのは嬉しい。

ここしばらくは、いわきから避難してきている義両親と一緒に食卓を囲んでいるので、毎日賑やかになる。献立も、私たち家族だけでは作らないようなものを作ったり、量も多いのでなんだか作り甲斐がある。やっぱりご飯は、一緒に食べる人が多ければ多いほど楽しいのではと思う。震災があって、思いがけずに義両親とそんな時間が持てたことは嬉しい出来事だった。

2011年4月2日土曜日

悲しみばかりではいけない


こんな個人的なブログでも、読んでくれている人はいるようで、その中の一人から「最近は悲しみ一色だね」と言われてはっとした。確かに悲しいことは多いのだけれど、そればかりではいけないな、楽しい日常のことも書いていこうと、やっとそんな気持ちになれてきた。

正直、3月の一か月は、何かを書こうとしても、なかなか文章にならなかった。毎日行方不明者の数が減り、その分死者は増え、それがなんだか単なる数字としての報告みたいに捉えてしまうのもつらかった。新聞には、色々な人の記事が載っていて、それを読んで泣きそうになることもしばしばだけれど、逆に、絶望の中から頑張って行こう、ここから立ち上がろうという人達の記事も沢山読んだ。特に娘と同じくらいの子供を失った人、またそのくらいの小さな子が親を失った記事など読むと、自分に置き換えたらこんなに気丈に居られるのだろうか、立ち上がる力すらなくなるのではと思い、涙ばかりが出てしまったのだけれど、そればかりではいけないと、最近になって本当にようやく思えるようになってきた。

季節が春になって、娘の幼稚園入園という行事もあり、私たち家族にも新生活が始まる。前を向いていこうと思った。余震や原発など、まだまだ目の前の拭いきれない不安は多いのだけれど、悲しいことばかりを考えるのではなくて、少しでもあの日常にみんなが戻れるように、何か力になれるようなことを、小さなことでもしていきたい。

写真は家の前のとても立派な桜。満開の時期には毎日のようにメジロ、ヒヨドリ、ツグミなどが桜の花の蜜を吸いに来ていた。朝ご飯の最中に鳥たちの鳴き声が合奏を奏でていて、朝からとても気持ちが良くなる日もあった。玄関から一歩出ただけで、こんな景色を楽しめることにとても感謝している。

2011年4月1日金曜日

知らなさ過ぎて泣けてきた


気づいたらもう4月になっていた。今年ほど3月と4月の境目が意識できなかった年もまれだった。毎日、いわきから来た両親と、ニュースを見て新聞を読んで、一進一退する原発の状況を、ただ見つめているしかなかった。それでも季節は変わって、近所の桜が次々に咲き、ピンクと黄緑のグラデーションで目を楽しませてくれている。

私は恥ずかしいことに、原発についてこれまで殆ど知らなかった。日本に50基以上も原発があることも知らなかったし、いわきに両親が住んでいるというのに、福島第一、第二原発の場所は愚か、福島に原発があることすら知らなかった。そして、その電力が東京の為のものということも当然知らなかった。もう、本当に知らなさ過ぎて、とてもとても恥ずかしくて涙が出てきた。今回の地震があって、これほどの重大な事故になってしまって、事態がとても深刻なことは分かっているのだけれど、東電や保安院の会見に文句を言う人がいても、自分の無知のほうが申し訳なくて、なんだかそんな気になれなかった。ただただ泣けて来てしまった。


「原発反対!」という運動やブログ、新聞記事などは今までも色々なところで見ていたのに、どうしてその時に真剣に勉強しなかったのだろうかと自分を恥じた。そこで私が勉強していたからといって、何がどう変わるというわけではないのだけれど、こんなにも知らなさ過ぎたのに、いざ事故が起こって「酷い!」なんて言えなくて。それでも悲しさや虚しさだけは日々襲ってきて、なかなか心が平穏にならない。

ちょうど4月2日は忌野清志郎さんの誕生日だった。色々なところで話題になっているけれど、「LOVE ME TENDER」「SUMMER TIME BLUES」の歌詞を改めて読んで驚いた。清志郎さんが反原発の歌を歌っていたことは知っていたけれど、こんなに今の現実に悲しいくらいに当てはまっている歌を、もう20年も前に歌っていたんだもんなあ。清志郎さんが生きていたら、今のこの現実にどんな歌を歌ってくれたんだろう。清志郎さんの命日までもあと約一ヶ月。今頃空の上で、どんな顔で私たちを見ているんだろう。