2011年1月20日木曜日

絵本よんであげる


娘は本が大好きで、図書館に連れて行くと両手に抱えきれないような本を抱えて、「おかーさん、これもよみたい!これも!これも!」と持ってくる。引っ越すことを決めたときに、図書館が近くにあることは優先順位の中でもかなり上位をしめていた項目。不動産屋さんにも「図書館の近くが良いです!」と言って、土地の下見のときには、図書館の下見もしたほど。

さて、その図書館。家から歩いても行ける距離なので頻繁に利用している。団地の商店街の中にポツンと存在し、小さいながらもとても落ち着く空間。川崎に住んでいたときよりもずいぶん規模は小さい図書館なのに、いつ行っても読みたい本を借りられるのは、この図書館と相性が良いということなのだ!と機嫌を良くしている。


娘は、家にある洋書の絵本を良く「よんでー」と言って持ってくる。もちろん英語で読んでもわからないので、適当におはなしを作って読んであげる。娘もそうすることを覚えたのか、ご飯を作っていると、洋書絵本を広げながら一人で話をつくってページをめくっていたり、私にお話を聞かせてくれたりする。こんなときは、子供の想像力は大人よりも本当に逞しく豊かなのだなあと思う。


2011年1月17日月曜日

「頑張っているのはお母さんです。」


春から娘がお世話になる幼稚園では、週に一度2歳児のクラスがあり、引っ越してから参加させてもらっている。午前中の2時間程、20人弱の親子達で、周囲を散策したり、例えばみかん狩りやクリスマス会などの季節の行事を楽しんだりする。

娘は、引越す前の川崎のマンションでは、あまり歩くのが得意ではなかった。その頃はまだ2歳半くらいというのもあったけれど、とにかくすぐに「だっこ!だっこ!」と言う。マンションでは玄関を開けたらすぐに外というわけではないので、外に出るにもぐるっとエントランスホールまで出ていかねばならず、また周囲は車も多くて遊ぶのも近場の公園ばかり。長距離を歩くのに慣れていない。春から入る幼稚園はとにかく自分たちの足でどこまでも歩くとのこと。このまま幼稚園に入るとちょっと不安だなあと思い園長先生に相談したところ、途中からでも参加してみてはどうかと言われ二つ返事でお願いすることに。

「たんぽぽ」というその2歳児クラスに入って驚いたのは、とにかく子供たちがとてもきちんとしている。例えば、先生が「見繕いをきちんとしましょうね。」と言うと、ズボンからはみ出ているシャツを自分で中に入れる。靴下がずり落ちていたら自分で上げる。騒いだり走りまわったりする子もいなくて、先生の言うことをきちんと聞ける。でも、それは4月からの積み重ねであって、先生の話だと、4月にはまだ泣いたりぐずったりする子もいたけれど、季節を経てどんどん成長していったとのこと。

でも、その成長について、先生が褒めるのは子供ではなかった。先生はいつも子供達はこんなに色々なことが出来るようになりましたねと、子供の成長を振り返ったあとに必ず、「でも、えらいのは子供じゃありません。子供たちももちろんえらいけれど、えらいのはお母さんです!」ときっぱりと言う。「お父さんでもありません。お母さんですよ!」「おかあさん、あなた達は本当にえらいんです!」と言ってくれる。毎日、だだをこねても泣かれても、子供と真剣に向きあって成長を見守ってきたのはお母さん、だからえらいのはお母さんなんですと、そうはっきり言ってくれる先生の言葉を聞くと、本当に涙が出そうになる。

子育ては本当に毎日のことで、特に私は一人目の子なので、毎日のように悩んだり反省することも多々ある。そして、気づくと心がカチコチに固まってしまったりすることもある。そういうときに、「お母さんはえらいんです。」と、その一言が、こんなにも心を溶かしてくれるのだなあと、本当に嬉しかった。毎日子育てをしていてもそれは当たり前のことで誰も褒めてなんてくれない。それでも、「えらいんね。がんばってるね。」と、そう言われたかったんだなと、先生の言葉を聞いたときに強く思った。たった一言でこんなにも救われるんだなと。

最近の新聞では、「保育所をもっと増やそう」「女性がもっと働けるように」というような見出しを良く見る。そういう記事はたいてい働く女性に対して背中をぐいっと押してくれるような記事なのだけれど、時々違和感を感じることがある。保育所が増えて、もっと働くお母さんが増えたら、お母さんから離れる時間が多くなる子供だって増えるんだということを考えている記者の人はどれくらいいるのだろう。子供を預けて働くことが悪いことだとはもちろん思わないけれど、子供とお母さんが一緒にいる時間の大切さも、もっと取り上げられても良いのにと思う。

私がどんなに怒っても叱っても、寝る前には「おかあさんだいすきだよ。」と言ってくれる娘を見ていると、子供にとって母は絶対の存在なんだろうなあと思う。だから、母は悩みながらも明日も頑張ろうと思えるんだ。

2011年1月14日金曜日

仲良し


引っ越してきてから、猫のミルクは妙に活発になった。マンションにいたときは寝室の毛布の上でじっとしていることが多く、さすがにもう歳を取ってきたから動くのも大変になってきたのかなあなどと思っていたのだけれど、こちらに引っ越してきた途端に、運動好きのおてんば猫に戻ってしまった。おかげで、床にはすでにひっかき傷がいくつか…。我が家の床は杉の無垢材なのだが、柔らかいので簡単に傷がつく。その柔らかさは暖かさにもなっていて、裸足で歩いても肌にあたる部分が優しい。なのでこの傷は仕方ない、年月を重ねて増えていく我が家の味の一つだね、ということで納得する。

娘とミルクもなんだか引っ越してきてからのほうが仲良し。娘のお気に入りの椅子はミルクもお気に入りのようで、一つの椅子に一緒に座ったりしている姿は微笑ましい。「おかーさん、みて!ミルクちゃんとなかよしだよー。」と言う声を聞いて安心している次の瞬間には「おかーさん!ミルクちゃんにかまれたー!!」という泣き声が聞こえてきたりするのだけど。

2011年1月12日水曜日

寒い朝


今まではマンション暮らしだったので、さすがに一軒家に越してきて冬の寒さを感じる。また住んでいる地域も、川や森がすぐ近くにあるので街中よりも寒さが厳しいようだ。近所の方は、駅の近くからこのあたりに引っ越してきて、2度くらい気温が低いように感じると言っていた。

最近の朝は本当にひんやりとしていて、なかなか布団から出ることができない。それでも、えいやっと布団から出て、まず温かいお湯をわかして白湯を飲む。白湯をゆっくり飲むことで新陳代謝が上がると聞いたので。体温の下がった胃にゆっくりと熱いお湯が入っていきながら、体が少しずつ目覚めるのを感じる。

休日の朝や、だんなさんの出勤に少し余裕のある朝は珈琲を淹れてもらう。湯気の白さに改めて寒さを感じる。ゆっくり落とされた珈琲を飲める朝は少し気持ちに余裕が出て、物事が落ち着いてこなせる気がする。娘は寒い朝でもウッドデッキに出て行き、「いきが、しろいよねえ。」などと言っている。ウッドデッキは我が家の第二のリビング。日が当たっている時間はとても気持ちが良い。

2011年1月10日月曜日

夕方の散歩


家の目の前には、大きな調整池を兼ねた公園があって、毎日夕方になると犬の散歩をする人たちで賑わう。娘はどういうわけかまだ赤ちゃんのときから、本当に犬が好きで、歩けるようになって間もないころから、とにかく犬を見ると寄っていって、自分よりも何倍も大きな犬も怖がらずにいつまでも撫でているのだった。

その犬好きは今も変わることなく、家の近くで散歩している犬を見ると、どんな犬でも寄っていってしまう。幸い、家の向いにはゴールデンレトリバーと雑種の2頭を飼っているお宅があり、そこのおじさんおばさんが本当に良い方で毎日のように娘も一緒に散歩に連れていってくれる。ゴールデンのほうは体重が娘の3倍もあるにも関わらず、娘はその子を連れて歩けるのがとても嬉しいらしく、リードを自分がもって誘導し、広い公園を一周して帰って来るととても満足そうにしている。

最近は、散歩の後にまだワンちゃん達と遊び足りないらしく、「おかーさんはおうちにかえっていていいよ。ののちゃんはカールくんのおうちにいくから。」と言って、ワンちゃんのお宅に一人で入っていってしまう。そんな姿は頼もしくもあるけれど、母としてはちょっと寂しさも感じる。でもこれから幼稚園に入ったらもっと自分の世界が沢山できて、お母さんなんかいなくても大丈夫になっていくのだろう。「おかあさん、ぎゅうーってして!」なんて言うのも、そのうち言わなくなってしまうのかと思うと、今のうちに沢山沢山抱きしめておかないと、などと思う。

2011年1月8日土曜日

あさごはん


前の住まいはリビングダイニングが西側に面していたので、朝の食卓に、朝日を感じることができなかった。朝から部屋に電気をつけなくてはいけない生活で、それが何とも寂しかった。できることなら朝日を浴びて食事をする生活をしたい、引越し先ではぜひともその願いを叶えたかった。選んだ土地は幸運なことに東側が道路に面しており、道路を挟んだ隣家は地主さんのお宅で、竹林や常緑樹の生垣を借景として楽しむことができる場所。この東側の借景を生かさない手立てはないと、設計士さんは東側に大きな開口をとった間取りを考えて下さった。

そのおかげで現在は、隣家の奥にある東の山の上から朝日が顔を出す瞬間も見ることができるようになったし、食卓には朝のまぶしい光が目一杯入ってくる。その光を浴びながら食事が出来るのはとても気持ちが良い。娘の食事の量が以前より多くなったような気がするのも、嬉しいことのひとつ。

2011年1月7日金曜日

寺家ふるさと村のこと


引っ越してきて嬉しかったことの一つは「寺家ふるさと村」に自転車でも行けるくらいになったこと。ここは横浜市になるけれど川崎市や町田市とも隣接している地域で、開発されていない自然のままの里山が広がっている。水田や溜池、散策のできる小山などもあり、近くには住宅地も隣接しているのに、ここだけは昔ながらの田園風景が広がっている。娘を出産した助産院もすぐ近くにあって、検診の後に良くウォーキングして帰ったものだ。川崎に住んでいた頃は、ここまで来るのには電車とバスを乗り継がなくてはいけなかったけれど、今では自転車に乗っても20分くらいで到着する。

ここもやはり実家にとても良く似ている。小さい頃の記憶というのはいつまでも色褪せないようで、ここに来ると、実家に里帰りしたかのような懐かしい気持ちになる。一度中学高時代の同級生に写真を見せたことがあって、あまりに景色が似ているので驚いていた。

去年の春にはここで田植え体験をした。そして秋には収穫祭。このときに両親も一緒に連れてきたのだが、父は刈り入れの終わった田んぼに入って、娘のためにいなごを沢山捕まえていた。母が「お父さんが一番楽しそう。」と言うのを聞いて、私もこんな父の姿は久しぶりに見たなあと思ったのだった。

2011年1月5日水曜日

住まいを移して



去年の11月終わりに、川崎市から町田市に引っ越してきた。引越しを考えたのはそもそも、子育てをしていく上でもう少し緑の多い環境に移りたいなあと思ってのこと。そう思って土地探しをしたのがちょうど1年半前くらい。緑の多い土地を最優先事項に、旦那さんの自転車通勤もできる範囲の地域、そしてある程度友人とも行き来のできる距離…と思っていくつか土地をめぐり、行き着いたのがこの場所だった。不動産屋さんに紹介されてまだ更地だったその土地に立ったとき、東側には大きな山が見えて、眼に入る深い緑がとても心地よかったことを覚えている。少し坂になっているところだったので、坂を見下ろすと田んぼが見え、そこからの風も気持よかった。

それまでに、不動産会社の担当者にたくさんの土地を見せられたのだけど、どれも決定打に欠けていた。でも、そこの土地に降り立ったときに「ああ、ここかもしれない。」とそう思った。そして、その週末にはだんなさんを連れてきて再度その土地の良さを確認。さらにその次の週末には、だんなさんの両親にも見に来てもらい、みんなの意見が一致して、とんとん拍子に土地が決まっていった。そして、あの時に「ここに住むことになるんだろうな。」と、ぴんと来た感覚が、今では正解だったのだなあと思っている。

後から気づいたのだけれど、ここは私の実家の環境にとてもよく似ている。実家の裏には同じように山があり、小学校の頃は竹林や田んぼで良く遊んでいた。娘にも同じように自然いっぱいの中でいろいろな体験をさせてあげたいと思っている。これから少しずつ、家を建てるまでのことも書いていこうと思う。

2011年1月3日月曜日

思い出の地球儀ミル


だんなさんの両親の家で使っていた地球儀型のコーヒーミル。だんなさんの記憶にある限り、30年前くらいから使われていたとのこと。その思い出のミルが壊れてしまったと両親から連絡があり、代わりのミルを探していたのだけれど、喫茶店を開いている知り合いの方から「同じものの中古がありますよ。」と連絡を頂いて、ご好意に甘え譲って頂くことに。

細部こそ違えど、目の前にある壊れたミルとほとんど同じものが出てきて、両親も驚きながらも喜んでくれた。やはり思い出深いものだったようで私も嬉しくなる。もともと、だんなさんが珈琲好きになったのも、両親がこうやって昔から珈琲を豆からひいて飲む生活をしていたから。コーノ式のドリップセットも昔から使っていたとのこと。

そんな珈琲好きの家庭で育っただんなさんの趣味が高じて始まった【みなづき珈琲】、引越しのバタバタで1年ほどお休みしていましたが、新年より徐々に再開するとのことです。どうぞよろしくお願いします。

2011年1月1日土曜日

明けましておめでとうございます

今年の初日の出は、茨城県の高萩海岸にて。毎年行われているという、「元旦神輿渡御」が見られるというので楽しみに出かける。6時頃現地について寒い中待っていると、2基の神輿が海岸に。褌一丁の姿で神輿を担ぐ姿にこちらの身も引き締まる思い。こういう神輿の担ぎ手の方は、どこからどうやって集まるのかなあと不思議に思っているのだけれど、聞くと、とにかく祭りとなると神輿を担ぎたくて出かけていくというという人もいるとのこと。

明け方の海に、どんどん入っていく神輿の担ぎ手方。よく見ると、肩にはすごい担ぎコブが出来ていて驚く。外人さんや女性もいたり。側にはカメラを抱えた人がたくさん。テレビの取材が来ていたり、カメラのレンズも、ものすごい望遠のものを付けている人ばかり。よく見るとカメラを抱えた人はみんな長靴を履いていたり、釣り人が着るようなつなぎを来ていたりして、波にも負けずに一緒に海に入っていく。神輿の担ぎ手達は、海に入ったり、また出てきたり、なんども海岸を往復したり。その後ろをカメラを抱えた沢山の人たちがついていく。


日が登ってからは、神輿を海岸に置いて、担ぎ手の方々はみんなで海に入っていった。この日は特別波が荒いようで、神社の方が「こんなに荒れた海は初めてだー」と言っているのを聞く。次々に砕け散る荒波にも負けず、担ぎ手の方々、楽しそう。
雲が多かったので、水平線からの日の出は見られなかったけれど、雲の切れ間から見えた日の出はとても美しかった。今年も良い年になりますようにとお願いしながらシャッターを切る。海岸では、暖かい甘酒と豚汁が振舞われ、みな白い息を吐きながら美味しそうに食べていた。