2016年10月10日月曜日

小豆島旅行日記その2



翌日、3時半起きにも関わらず、子どもたちはわりとすっきり全員起きてくれた。運転を友人に任せ、まだ真っ暗な道を神戸港に向かう。初めての小豆島、初めてのフェリー乗船に気持ちが高まる。子どもたちも興奮しているのか後部座席で賑やかにしている。

神戸港に着き、いよいよフェリー乗船。すべて手配してくれた友人に感謝しつつ、初めてのフェリーの船内を探索。ごろんと寝転がれる畳敷きの空間があったり、子どもルームがあったり、女性専用ルームがあったり、海を眺めながらゆったりくつろげる椅子のシートがあったり、思っていたよりもずっと広々した空間に嬉しくなる。長女は女性専用ルームの漫画本の棚にウキウキ!次女はおとなーしく椅子に座って飴を舐めている。姉妹だけど全然性格の違う2人。

私はというと友人とおしゃべりしたり本を読んだり、デッキにでて景色を撮ったりしながら3時間の乗船時間を過ごす。フェリーでの移動時間は久しぶりの旅気分を大いに盛り上げてくれた。

小豆島についてからは、まず友人が海に連れていってくれた。私が小さい頃に時々遊びにいった千葉の海とは違って、砂浜も水もとてもきれい。子どもたちは水着に着替え、波打ち際で遊んだり、貝を拾ったり。生後8ヶ月の赤ちゃんをおんぶしていた私は、なるべく日に焼けないようにしつつ、楽しそうに遊ぶ子どもたちを、目を細めて見ていた。その後、エンジェルロードという、干潮のときにだけ通れる道がある海岸にも足を伸ばしたり、ちょうど会期中であった瀬戸内芸術祭のスポットに立ち寄ったりと、大人も子供も小豆島の街を楽しんだ。途中で休憩した「minori ジェラート」でのジェラートの美味しかったこと。こちらは友人が事前に調べておいてくれて、ぜひ行きたいと願っていた、小豆島さんのフルーツなどを使ったジェラートのお店。母たちは魅力的なフルーツのジェラートを選んだけれど、子どもたちはみな、そろってチョコレートなのに、母たちは苦笑い…。




チェックイン時間になり、ホテルに着く。ホテルは「 ベイリゾートホテル小豆島」。オーシャンビューの客室と、オリーブバイキングを楽しみに選んだホテル。子どもたちは着くなり早速「野球盤」を借りて夢中になってやっている。その間、私と友人はほっと一息。部屋に「せとうち暮らし」という雑誌が置かれていて手に取る。東京の本屋で前に見つけて一冊買ったことがあり、可愛らしいデザインや瀬戸内の魅力的なお店や文化を紹介する内容が気に入っていたので、ここで読めるのは嬉しかった。

野球盤に夢中のこどもたち




部屋で遊び飽きた子どもたち、今度はホテルのプールへ。もちろん子どもたちだけでは行かせられないので、親もついていく。はあ、結局子連れの旅行なんて、子どもサービスだよね…とつぶやきながら、子どもたちを追いかける私たち。結局、このプールがとても気に入った子どもたちは、翌日もほぼプールで過ごすことになるのである。
海が見える気持ちのよいプール。水着を持ってくればよかったと少し後悔。

そして夕飯は、小豆島の名産、オリーブや醤油、そうめんなどが並び、海の幸もとても美味しそう。しかし、大人2人に子供5人を連れての食事は、それはそれは騒がしいもので…。しかし私は、この夕飯がとても美味しく満足し、それだけでも、このホテルを選んで良かったなあと思ったのだ。バイキングはだいたいどこで食べても似たようなメニューだけれど、やはり小豆島ならではのメニューを食べられたのが、非常に満足度が高かった。願わくば、大人だけでいつかゆっくり…。

お腹もすっかり満たされ、交代でお風呂に入り、部屋でほっと一息……というわけにはなかなか行かないくらい、子どもたちはずっと騒がしかったけれど、それでもこの日一日で、小豆島をたっぷりと味わったくらい、朝から晩まで、もりだくさんの一日だったなあと思いながら眠りについた。





2016年10月9日日曜日

小豆島旅行日記


写真は夏休みに初めて訪れた小豆島で撮ったもの。今年の夏休み、小豆島に縁がある友人親子に誘われて、初めて小豆島に旅行をした。実はこの旅、私が一人で小学3年生の長女、2歳の次女、0歳の三女を一人で連れて新幹線で大阪まで行き、友人親子と合流して小豆島に行くという、いささか無謀な計画。周りからも「無理があるのでは……」と心配されながらも、なんとか無事に行って帰ってくることが出来て、それは思い出深い旅になったのだ。

もちろん母だけでまだ幼い3人の娘達を連れていくのは大変だった。だけど、小学三年生になった長女がかなりの戦力になったことは確か。行きの新幹線では三女も特にぐずることもなく、長女は次女とおしゃべりしつつ本を読んだりして、2時間半の乗車時間は意外と早く過ぎた。行きの新幹線がなんと6時発の始発だったので、新大阪に着いたのは8時過ぎ。

大荷物を抱え、三女をおんぶし、次女の手を引きながら、やっとのことで新大阪駅の改札まで辿りつく。朝早いというのに、改札まで迎えに来てくれた友人と、久しぶりの再会が出来たときの安心感といったらなかった。

友人の車に家族4人で載せてもらい、おしゃべりに花をさかせながら、最近新居に引っ越した友人宅へ。引っ越してもう半年くらい経ったという友人の家は、とてもすっきりと整理整頓されていて、わが家を振り返って少し反省……。最近は、忙しさにかまけて家が本当に散らかりっぱなし。こんな風に整理整頓された家で毎日過ごせたら気分が良いだろうなあと、部屋をキョロキョロと見回しながら、旅の疲れをいやした。







Blogからつながる出会い



長らくblogを書かなくなってしまった。近況を報告するのはもっぱらfacebook。確かにfacebookのほうが気軽に投稿できるし、見るのは知り合いに限るということもあり、よりプライベートなことも書けるし……と、このblogはすっかり放置。最後の更新からもう3年以上経っているとは……。今更読んでいる人なんて全然いないだろうなと思いながら、ひっそりと更新してみる。最近、ちょっと嬉しいことがあったから。


以前に、instagramでたまたま私を見つけてフォローしてくれた方がいて、「前にBlogを読んでいました。娘さんが大きくなって……」というようなメッセージをくれてとても驚いたのだ。たまに、インターネットというのはそういう宝物のような瞬間をくれる。会ったこともないけれど、娘の成長を喜んでくれる人。インターネットがなかったらそんな不思議な幸せは味わえないのだなと思うと、文明よありがとう!となんだか大げさに感謝してみたりした。

最近、その方が私が3人の娘達を産んだのと同じ助産院で、3人目のお子さんを出産されたことを、同じようにinstagramにて知る。載せられていた写真が助産院の美味しそうな食事だったのだ。酵素玄米のご飯、旬の野菜をたっぷり使ったたくさんの小鉢たち。私は、この食事が食べたくて3人をこの助産院で産んだといっても言い過ぎではないと思う。それほど、入院中の食事が楽しみだったのだが、その方も同じように入院食への感激を綴っていて、それがまた嬉しかった。なんと助産院を選んでくれたのも、このBlogからだという。そんな繋がりもあるんだなあ。本当に嬉しかった。

いつか彼女にお会いしてみたいな、なんて、そんなことをぼんやり思ったりする。思っていたらいつか叶うかな。お子さんのご誕生、おめでとうございます。

2013年5月30日木曜日

green layered

DSC_5672 by mutsuko_nagatani
DSC_5672, a photo by mutsuko_nagatani on Flickr.
この季節、いつもこんな写真を撮っている。大好きな緑の重なり。これは藤野を娘と散歩しながら撮った一枚。藤野は大好きな場所。家から車で1時間半くらいで行けるのだが、時々訪れると心身共に充実して帰ってくる。途中にくねくね道があるのが、娘にとっては苦手らしいけれど…。

娘の成長

久しぶりの更新。ここしばらく、体調が安定しなかったり、日々の忙しさに忙殺されたりして、あっという間に毎日が過ぎていった。そして娘は幼稚園で年長になり、ここのところぐっと大人びた気がする。髪の毛をショートカットにして、更に身長も急に伸びたようで、幼稚園で会うお母さん達にも「急に大きくなったね!」「お姉さんらしくなったねえ。」と言われ、そういえばそうだなあと、母親ながらに成長を感じるこの頃。そして彼女がお姉さんらしくなったね、と言われるのには理由があり、秋になると彼女は本当にお姉さんになるのだ。今、私のお腹には小さないのちが宿っている。そのことはとても嬉しく幸せなことで、その小さな子に会う日を楽しみに、親子共々過ごしている。

生活面でも、幼稚園で色々なことを吸収してきているようで、親ばかかもしれないが、著しい成長が見られ嬉しくなる。ある日のこと、買い物に行った時に突然「お母さん!ゴーヤ買って!」と言い出した。ゴーヤは、あまり好き嫌いのない娘の、唯一苦手とする食べ物で、去年までは食べようともしなかったし、事あるごとに「ののちゃんの嫌いなものはゴーヤ!」と宣言していた。なのに、この発言。驚いて「だって、食べられないでしょ?」と言うと、「だいじょうぶ!挑戦してみたいの!」との返事。挑戦なんて言葉使うようになったんだなあと思いつつ、「じゃあ、買ってみるよ」と言って、早速その日の夕飯はゴーヤチャンプルーを作った。そして娘の反応を見ると、「食べられるよ!ほら!」と言って、空っぽになった口を大きく開けて見せてくれた。しかし、ちょっと顔は苦そうう…。でも、ちゃんと分けた分は完食して、得意そうにしていた。私が食べてもやっぱりゴーヤは苦いなあ…と思う味だったので、娘が残さず食べたことには本当に驚いた。そして「明日のお弁当にもゴーヤ入れていいからね!」とニコニコしながら言っている。

その事を後日連絡帳に書いたところ、先生からの返信で、幼稚園で「風邪をひかないためにはどうしたら良い?」という話の中で「苦手なものにも挑戦して食べてみる!」という意見があったよう。それを思い出して、あの発言だったのだなあと思い、それを自分から言い出し挑戦しようと思ったことに嬉しくなった。そして、幼稚園でその話を先生がしてみたところ、他の子達も刺激され、苦手なものを食べようとする姿勢が見られたようで、クラスの中で良い刺激になりましたとの返信を頂いた。なんだか嬉しくなり、その話を夕飯の時にしてみたところ、本人も少しはにかみながらもとても良い笑顔でその時のことを話してくれた。

毎日、母と娘二人の日々なので、衝突することも多いし、私が行き詰まってしまうこともあるのだけれど、それでも最近の娘の成長を目の当たりにすると、母としての幸せを感じる瞬間を沢山もらっていると感じることが多い。秋には妹か弟が出来る彼女が、これからもどのような成長を見せてくれるのか、きっと宝物のような瞬間がこれからも沢山訪れてくれるのだろうと思う。母娘、二人だけの生活もあと半年と思うと、その貴重な時間を、出来る限り二人で笑顔多く過ごしたい。


2013年2月8日金曜日

ある雪の日


臘梅に雪の冠。なぜか光が7角形になっていて可愛らしい。

今年に入ってからもう雪が3回ほど降った。町田に住むようになってからは毎年のようにかならず大雪の日がある。川崎に住んでいた頃はこんなに降ったかなあと思いつつ、雪のたびに真っ白に染まる近所ののどかな風景に心を癒されている。

今住んでいる地域というのは、東京都とは思えないほどに田園風景が広がり、本当に景色に恵まれているなあと思う。そして娘の通う幼稚園までの道も例外ではない。通園途中の道に、毎年臘梅が見事に花を咲かせている畑があり、毎日そこを通る私達は、臘梅のつぼみが、1月半ばを過ぎた辺りからすこしずつふくふくと膨らんで行くのを眺めていた。1月といえば、まだ春はもう少し先だが、ある日一輪咲いた臘梅の香りはなんとも言えない心地良い香りで、もう春がすぐそこまで来ているような気持ちになる。ここに越してきて3度めの冬。そしてこの臘梅によって少しずつ春の訪れを感じるのも3度め。そしてある雪の日に、その香りをずいぶんと大胆に放つようになってきた黄色い小さな花達に、真っ白い雪の帽子が被っている様は、とてもかわいらしいものだった。

今ではもう臘梅は満開で、娘はそこを通る度に「ろうばいの匂いをかぐの〜!」と行っては立ち止まる。そして時々友達を誘っては「これはろうばいって言うんだよ!」と教えて上げたりもするのだが、皆一様に柔らかな表情になって、この黄色の小さな花が放つ春の香りに目を細めている姿は、見ていてとても心が安らぐなあと思う。


このときはまだつぼみが多かった。青空に黄色と白が良く映えていた。
天気の良い日だったので、この朝にうっすら積もった雪は、午後には溶けていた。 
家のすぐ目の前がこんな景色なのはありがたい。
この畑には良く野鳥が来ている。メジロ、オナガ、ヒヨドリ、ムクドリ、シジュウカラなど…。



2013年2月5日火曜日

大切な雑木林


自宅から車で10分くらいのところに、里山とスポーツ施設が調和して存在する町田市立野津田公園がある。そこは野球場や陸上競技場、テニスコート、子供の遊べる遊具などがある一方、今では珍しくなった里山の風景をそのまま残した地帯も残されている。この町に越してきて、最初にこの公園を訪れたときに、私達家族が惹かれたのは、整備されたスポーツ施設や遊具ではなく、この里山の風景だった。そして、縁があり、その公園の雑木林を守っている団体のお手伝いをすることになり、今ではその公園で月に1度くらい開かれる、自然を楽しみ、また皆で守っていこうという行事に参加している。

その公園の里山地域では、キジが見かけられたり、野うさぎの糞が落ちていたり(実際数年前にのうさぎの子供を捕まえたこともあったらしい。)、沢山の希少な動植物が存在している。だが、悲しいことに、この里山地域を整備し、総合的なスポーツ公園にしようという計画が持ち上がっているらしい。これは、20数年前にも同じようなことがあり、その時には沢山の市民が市に訴えかけることで、その計画が見直され、スポーツ施設と里山を調和させた公園にしようという決定がなされたそうだ。その時の新聞を読むと、市民の力で行政は変えられるのだなあと感慨深くなった。だが、また今、その時の約束が反故にされ、計画の再見直しをされようとしているというのだ。とても悲しく寂しいことだと思う。

私たちは自然を守りたいと思う。でも一方で、草原よりも例えば綺麗に整備された遊歩道があったり、モニュメントなどがあったりするいわゆる「きれいな公園」というのを好む人もいるのだと思う。だから、私たちが「自然を壊すことには反対!」と言っていても、それを行政が「はいそうですね」と言って、聞き入れてくれるわけではないこともわかる。だが、少しでも何か私たちに出来ることはないかと考える。行政と闘うことは懸命ではないとも思う。なにか、もっと穏やかな方法でこの里山の残る公園を残せないかと考える。今出来ることは、この里山を愛する人が沢山いて、とても大事に思っているということを、少しでも伝えることかもしれない。それがどれ程の効果を産むのかはまるでわからないし、ほんのちっぽけな力かもしれない。でも何もしないよりは良い。

写真は、この公園にある雑木林の手入れを皆でした日のもの。3月にくぬぎなどを植樹した場所の、下草刈りをしたり、森の生物多様性を守るために木の伐採をしたり。休憩後は、伐採した木で思い思いに木工作をしたり、子供たちは落ち葉を集めて遊んだり、楽しい時間を過ごした。

娘ものこぎりを持って下草刈りのお手伝い
休憩のあと、皆で木工作。

落ち葉を集めている子供たち。後でベッドにするそう。
この日夫が娘と一緒に仕上げたフォトスタンド。





2013年2月4日月曜日

薪ストーブのある生活


 去年の冬の終わり頃に、自宅に薪ストーブをいれることにした。この家に住んだのは、2010年の初冬なので、去年の冬の終わりというのは、ちょうど二冬を過ごした頃。新築で家を建てたときにも、薪ストーブを入れたいなあとは思っていた。しかし、それまではマンションぐらしをしていたので、身近に薪ストーブを使っている家などまるでなく、薪の調達はどうするんだろう?実際、どれくらい薪を使うんだろう?ガスストーブのほうが便利だろうなあ、などと思い、薪ストーブの導入は断念した。相模湖のほうに住む友人宅には素敵な薪ストーブが設置されていて、そこで毎日のように料理もしていることを聞いていたのだが、そこまでの生活ができるとは思えず薪ストーブはいわば「憧れ」であった。


 だが、この家で二冬目を過ごす頃、ちょうど友人の家が3軒ほど続けて新築し、その全ての家に薪ストーブが設置された。そしてたまたま、その3つの家の友人たちは、それぞれ不思議な繋がりもあったりして、なんだか縁を感じ、そして実際に友人宅で薪ストーブに当たらせてもらったところ、あまりの心地良さに、居てもたってもいられずとはこのことだ…と思い、帰ってから早速薪ストーブカタログを取り寄せた。そして、もう春も近づく頃になった3月の頭に、我が家にも念願の薪ストーブが設置されたのだ。


 去年はもう春も間近だったのであまり本格的には稼働しなかったが、今年は11月になってから早速火入れをした。そこからは、薪ストーブを炊かない日はない。そして、なんと暖かく心地よいものなのだと、その魅力をひしひしと実感している。もともと、私は火にあたるのがとても好きだ。キャンプにいっても焚き火の前でぼおっとしているのは本当に落ちつくし、隔週の里山保育でも、大人達は焚き火をおこし、元気に遊ぶ子供たちを眺めながら火にあたりつつ珈琲を飲んだりもしている。そしてひとしきり遊びに飽きた子供たちも、マシュマロを焼いたり、いい具合に焼けた焼き芋を食べに来たりする。そんな時にも、焚き火というのは心も身体も、じんわりと暖かく癒されるものだと実感しており、その焚き火が家の中でできるなんて、こんなに楽しいことはない。

 薪ストーブは家中を暖めてくれる。我が家は吹き抜けがあり、そこに薪ストーブを設置しているので、その空気が二階に行き、私のアトリエと寝室がとても暖かく心地よい。そして二階にあるファンが空気を循環させて、家の中で寒いと感じる場所がなくなった。うちの遊びにきた両親は「確かに温かいけれど、毎日火をつけるなんて面倒。ガスストーブのほうが便利なのにねえ。」などと言っていたけれど、私はこの火をつける作業もとても好きだ。新聞紙を丸めて、その上に細い小枝を置き、だんだんと太い枝を重ねてから下の新聞紙に火をつけると、パチパチという音と共に、赤い炎がメラメラと燃え上がる。その瞬間が好きで、しばらくじっと眺めている。

 心配していた薪も、幸いなことに、お金を出して買うことはなく、全て譲って貰うもので賄えている。去年は夫が市の里山保全のボランティアに出かけ、そこで伐採の手伝いをして沢山の丸太をもらってきたり、工務店から端材をわけてもらったり、地主さんから伐採後の丸太を譲ってもらったりしている。こうやって、どこかで不必要になった木材を燃やして暖をとれるのはありがたいことだなあと思う。

 チェーンソーや斧を使って薪割りをするのは夫の仕事。そして、その薪を収納する棚は、去年友人たちが力を貸してくれたことで、とても立派な薪棚が出来た。春から夏に薪を割って、冬にはその薪を燃やすなんて暮らしは、少し前までは想像も出来なかったけれど、今は自然と自分の毎日に馴染んでいるのが嬉しくもある。



2013年2月3日日曜日

また、始めてみます。


1年近く放置してしまったこのWeblog、また少しずつ書き留めていきたいと思う。というのは、最近、「ああ、Weblogを綴っていて良かったなあ」と思うことが幾つかあったから。古いものも合わせると、もう8年くらいは続けているこのWeblog。途中、書かない期間があったりもしたけれど、ある時期は毎日のようにスケッチと日々の文章を載せていたりもした。子供が産まれる前とはいえ、毎日スケッチと文章とは、我ながらよく書いたなあと思う。

このWeblog内はごく個人的なことであるし、誰かのためになるようなものでもない。そして、最近はfacabookやTwitterなどで簡単に投稿できることもあって、Weblogを再開したところで、読む人はいるのかなあという気もする。でも、その嬉しかったことというのは、facebookなどでは絶対に繋がらないような人との交流であり、そんな風に見知らぬ人からとても温かい手紙(mailだけれども)を頂くのは、本当に嬉しいなあと思ったのだ。だから、また始めてみようと思った。そして、また、前のように誰に向けるわけでもない文章を綴りたいと思ったことも一つ。

私はやはり文章を書くことが好きだと思う。でも、その文章を書く力というのは、書かなくなると衰えるなあというのも感じている。だから、どこまで続くかわからないけれど、また少しずつ綴っていこうと思う。

そしてもう一つ、新しいカメラを買ったので、そのカメラを持っての散歩日記なども載せてみたいなと思ったこと、今は仕事でやむを得ず離れて暮らしている夫に、娘との日常を伝えたいと思ったことも、密やかな理由の一つ。

久しぶりの写真はお正月に家族で過ごしたホテルの前から撮った富士山。このときはまだ古いカメラで撮ったのだけど、天気に恵まれてとても素晴らしい富士山を拝むことが出来た。