2013年2月4日月曜日

薪ストーブのある生活


 去年の冬の終わり頃に、自宅に薪ストーブをいれることにした。この家に住んだのは、2010年の初冬なので、去年の冬の終わりというのは、ちょうど二冬を過ごした頃。新築で家を建てたときにも、薪ストーブを入れたいなあとは思っていた。しかし、それまではマンションぐらしをしていたので、身近に薪ストーブを使っている家などまるでなく、薪の調達はどうするんだろう?実際、どれくらい薪を使うんだろう?ガスストーブのほうが便利だろうなあ、などと思い、薪ストーブの導入は断念した。相模湖のほうに住む友人宅には素敵な薪ストーブが設置されていて、そこで毎日のように料理もしていることを聞いていたのだが、そこまでの生活ができるとは思えず薪ストーブはいわば「憧れ」であった。


 だが、この家で二冬目を過ごす頃、ちょうど友人の家が3軒ほど続けて新築し、その全ての家に薪ストーブが設置された。そしてたまたま、その3つの家の友人たちは、それぞれ不思議な繋がりもあったりして、なんだか縁を感じ、そして実際に友人宅で薪ストーブに当たらせてもらったところ、あまりの心地良さに、居てもたってもいられずとはこのことだ…と思い、帰ってから早速薪ストーブカタログを取り寄せた。そして、もう春も近づく頃になった3月の頭に、我が家にも念願の薪ストーブが設置されたのだ。


 去年はもう春も間近だったのであまり本格的には稼働しなかったが、今年は11月になってから早速火入れをした。そこからは、薪ストーブを炊かない日はない。そして、なんと暖かく心地よいものなのだと、その魅力をひしひしと実感している。もともと、私は火にあたるのがとても好きだ。キャンプにいっても焚き火の前でぼおっとしているのは本当に落ちつくし、隔週の里山保育でも、大人達は焚き火をおこし、元気に遊ぶ子供たちを眺めながら火にあたりつつ珈琲を飲んだりもしている。そしてひとしきり遊びに飽きた子供たちも、マシュマロを焼いたり、いい具合に焼けた焼き芋を食べに来たりする。そんな時にも、焚き火というのは心も身体も、じんわりと暖かく癒されるものだと実感しており、その焚き火が家の中でできるなんて、こんなに楽しいことはない。

 薪ストーブは家中を暖めてくれる。我が家は吹き抜けがあり、そこに薪ストーブを設置しているので、その空気が二階に行き、私のアトリエと寝室がとても暖かく心地よい。そして二階にあるファンが空気を循環させて、家の中で寒いと感じる場所がなくなった。うちの遊びにきた両親は「確かに温かいけれど、毎日火をつけるなんて面倒。ガスストーブのほうが便利なのにねえ。」などと言っていたけれど、私はこの火をつける作業もとても好きだ。新聞紙を丸めて、その上に細い小枝を置き、だんだんと太い枝を重ねてから下の新聞紙に火をつけると、パチパチという音と共に、赤い炎がメラメラと燃え上がる。その瞬間が好きで、しばらくじっと眺めている。

 心配していた薪も、幸いなことに、お金を出して買うことはなく、全て譲って貰うもので賄えている。去年は夫が市の里山保全のボランティアに出かけ、そこで伐採の手伝いをして沢山の丸太をもらってきたり、工務店から端材をわけてもらったり、地主さんから伐採後の丸太を譲ってもらったりしている。こうやって、どこかで不必要になった木材を燃やして暖をとれるのはありがたいことだなあと思う。

 チェーンソーや斧を使って薪割りをするのは夫の仕事。そして、その薪を収納する棚は、去年友人たちが力を貸してくれたことで、とても立派な薪棚が出来た。春から夏に薪を割って、冬にはその薪を燃やすなんて暮らしは、少し前までは想像も出来なかったけれど、今は自然と自分の毎日に馴染んでいるのが嬉しくもある。



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