2013年5月30日木曜日

green layered

DSC_5672 by mutsuko_nagatani
DSC_5672, a photo by mutsuko_nagatani on Flickr.
この季節、いつもこんな写真を撮っている。大好きな緑の重なり。これは藤野を娘と散歩しながら撮った一枚。藤野は大好きな場所。家から車で1時間半くらいで行けるのだが、時々訪れると心身共に充実して帰ってくる。途中にくねくね道があるのが、娘にとっては苦手らしいけれど…。

娘の成長

久しぶりの更新。ここしばらく、体調が安定しなかったり、日々の忙しさに忙殺されたりして、あっという間に毎日が過ぎていった。そして娘は幼稚園で年長になり、ここのところぐっと大人びた気がする。髪の毛をショートカットにして、更に身長も急に伸びたようで、幼稚園で会うお母さん達にも「急に大きくなったね!」「お姉さんらしくなったねえ。」と言われ、そういえばそうだなあと、母親ながらに成長を感じるこの頃。そして彼女がお姉さんらしくなったね、と言われるのには理由があり、秋になると彼女は本当にお姉さんになるのだ。今、私のお腹には小さないのちが宿っている。そのことはとても嬉しく幸せなことで、その小さな子に会う日を楽しみに、親子共々過ごしている。

生活面でも、幼稚園で色々なことを吸収してきているようで、親ばかかもしれないが、著しい成長が見られ嬉しくなる。ある日のこと、買い物に行った時に突然「お母さん!ゴーヤ買って!」と言い出した。ゴーヤは、あまり好き嫌いのない娘の、唯一苦手とする食べ物で、去年までは食べようともしなかったし、事あるごとに「ののちゃんの嫌いなものはゴーヤ!」と宣言していた。なのに、この発言。驚いて「だって、食べられないでしょ?」と言うと、「だいじょうぶ!挑戦してみたいの!」との返事。挑戦なんて言葉使うようになったんだなあと思いつつ、「じゃあ、買ってみるよ」と言って、早速その日の夕飯はゴーヤチャンプルーを作った。そして娘の反応を見ると、「食べられるよ!ほら!」と言って、空っぽになった口を大きく開けて見せてくれた。しかし、ちょっと顔は苦そうう…。でも、ちゃんと分けた分は完食して、得意そうにしていた。私が食べてもやっぱりゴーヤは苦いなあ…と思う味だったので、娘が残さず食べたことには本当に驚いた。そして「明日のお弁当にもゴーヤ入れていいからね!」とニコニコしながら言っている。

その事を後日連絡帳に書いたところ、先生からの返信で、幼稚園で「風邪をひかないためにはどうしたら良い?」という話の中で「苦手なものにも挑戦して食べてみる!」という意見があったよう。それを思い出して、あの発言だったのだなあと思い、それを自分から言い出し挑戦しようと思ったことに嬉しくなった。そして、幼稚園でその話を先生がしてみたところ、他の子達も刺激され、苦手なものを食べようとする姿勢が見られたようで、クラスの中で良い刺激になりましたとの返信を頂いた。なんだか嬉しくなり、その話を夕飯の時にしてみたところ、本人も少しはにかみながらもとても良い笑顔でその時のことを話してくれた。

毎日、母と娘二人の日々なので、衝突することも多いし、私が行き詰まってしまうこともあるのだけれど、それでも最近の娘の成長を目の当たりにすると、母としての幸せを感じる瞬間を沢山もらっていると感じることが多い。秋には妹か弟が出来る彼女が、これからもどのような成長を見せてくれるのか、きっと宝物のような瞬間がこれからも沢山訪れてくれるのだろうと思う。母娘、二人だけの生活もあと半年と思うと、その貴重な時間を、出来る限り二人で笑顔多く過ごしたい。


2013年2月8日金曜日

ある雪の日


臘梅に雪の冠。なぜか光が7角形になっていて可愛らしい。

今年に入ってからもう雪が3回ほど降った。町田に住むようになってからは毎年のようにかならず大雪の日がある。川崎に住んでいた頃はこんなに降ったかなあと思いつつ、雪のたびに真っ白に染まる近所ののどかな風景に心を癒されている。

今住んでいる地域というのは、東京都とは思えないほどに田園風景が広がり、本当に景色に恵まれているなあと思う。そして娘の通う幼稚園までの道も例外ではない。通園途中の道に、毎年臘梅が見事に花を咲かせている畑があり、毎日そこを通る私達は、臘梅のつぼみが、1月半ばを過ぎた辺りからすこしずつふくふくと膨らんで行くのを眺めていた。1月といえば、まだ春はもう少し先だが、ある日一輪咲いた臘梅の香りはなんとも言えない心地良い香りで、もう春がすぐそこまで来ているような気持ちになる。ここに越してきて3度めの冬。そしてこの臘梅によって少しずつ春の訪れを感じるのも3度め。そしてある雪の日に、その香りをずいぶんと大胆に放つようになってきた黄色い小さな花達に、真っ白い雪の帽子が被っている様は、とてもかわいらしいものだった。

今ではもう臘梅は満開で、娘はそこを通る度に「ろうばいの匂いをかぐの〜!」と行っては立ち止まる。そして時々友達を誘っては「これはろうばいって言うんだよ!」と教えて上げたりもするのだが、皆一様に柔らかな表情になって、この黄色の小さな花が放つ春の香りに目を細めている姿は、見ていてとても心が安らぐなあと思う。


このときはまだつぼみが多かった。青空に黄色と白が良く映えていた。
天気の良い日だったので、この朝にうっすら積もった雪は、午後には溶けていた。 
家のすぐ目の前がこんな景色なのはありがたい。
この畑には良く野鳥が来ている。メジロ、オナガ、ヒヨドリ、ムクドリ、シジュウカラなど…。



2013年2月5日火曜日

大切な雑木林


自宅から車で10分くらいのところに、里山とスポーツ施設が調和して存在する町田市立野津田公園がある。そこは野球場や陸上競技場、テニスコート、子供の遊べる遊具などがある一方、今では珍しくなった里山の風景をそのまま残した地帯も残されている。この町に越してきて、最初にこの公園を訪れたときに、私達家族が惹かれたのは、整備されたスポーツ施設や遊具ではなく、この里山の風景だった。そして、縁があり、その公園の雑木林を守っている団体のお手伝いをすることになり、今ではその公園で月に1度くらい開かれる、自然を楽しみ、また皆で守っていこうという行事に参加している。

その公園の里山地域では、キジが見かけられたり、野うさぎの糞が落ちていたり(実際数年前にのうさぎの子供を捕まえたこともあったらしい。)、沢山の希少な動植物が存在している。だが、悲しいことに、この里山地域を整備し、総合的なスポーツ公園にしようという計画が持ち上がっているらしい。これは、20数年前にも同じようなことがあり、その時には沢山の市民が市に訴えかけることで、その計画が見直され、スポーツ施設と里山を調和させた公園にしようという決定がなされたそうだ。その時の新聞を読むと、市民の力で行政は変えられるのだなあと感慨深くなった。だが、また今、その時の約束が反故にされ、計画の再見直しをされようとしているというのだ。とても悲しく寂しいことだと思う。

私たちは自然を守りたいと思う。でも一方で、草原よりも例えば綺麗に整備された遊歩道があったり、モニュメントなどがあったりするいわゆる「きれいな公園」というのを好む人もいるのだと思う。だから、私たちが「自然を壊すことには反対!」と言っていても、それを行政が「はいそうですね」と言って、聞き入れてくれるわけではないこともわかる。だが、少しでも何か私たちに出来ることはないかと考える。行政と闘うことは懸命ではないとも思う。なにか、もっと穏やかな方法でこの里山の残る公園を残せないかと考える。今出来ることは、この里山を愛する人が沢山いて、とても大事に思っているということを、少しでも伝えることかもしれない。それがどれ程の効果を産むのかはまるでわからないし、ほんのちっぽけな力かもしれない。でも何もしないよりは良い。

写真は、この公園にある雑木林の手入れを皆でした日のもの。3月にくぬぎなどを植樹した場所の、下草刈りをしたり、森の生物多様性を守るために木の伐採をしたり。休憩後は、伐採した木で思い思いに木工作をしたり、子供たちは落ち葉を集めて遊んだり、楽しい時間を過ごした。

娘ものこぎりを持って下草刈りのお手伝い
休憩のあと、皆で木工作。

落ち葉を集めている子供たち。後でベッドにするそう。
この日夫が娘と一緒に仕上げたフォトスタンド。





2013年2月4日月曜日

薪ストーブのある生活


 去年の冬の終わり頃に、自宅に薪ストーブをいれることにした。この家に住んだのは、2010年の初冬なので、去年の冬の終わりというのは、ちょうど二冬を過ごした頃。新築で家を建てたときにも、薪ストーブを入れたいなあとは思っていた。しかし、それまではマンションぐらしをしていたので、身近に薪ストーブを使っている家などまるでなく、薪の調達はどうするんだろう?実際、どれくらい薪を使うんだろう?ガスストーブのほうが便利だろうなあ、などと思い、薪ストーブの導入は断念した。相模湖のほうに住む友人宅には素敵な薪ストーブが設置されていて、そこで毎日のように料理もしていることを聞いていたのだが、そこまでの生活ができるとは思えず薪ストーブはいわば「憧れ」であった。


 だが、この家で二冬目を過ごす頃、ちょうど友人の家が3軒ほど続けて新築し、その全ての家に薪ストーブが設置された。そしてたまたま、その3つの家の友人たちは、それぞれ不思議な繋がりもあったりして、なんだか縁を感じ、そして実際に友人宅で薪ストーブに当たらせてもらったところ、あまりの心地良さに、居てもたってもいられずとはこのことだ…と思い、帰ってから早速薪ストーブカタログを取り寄せた。そして、もう春も近づく頃になった3月の頭に、我が家にも念願の薪ストーブが設置されたのだ。


 去年はもう春も間近だったのであまり本格的には稼働しなかったが、今年は11月になってから早速火入れをした。そこからは、薪ストーブを炊かない日はない。そして、なんと暖かく心地よいものなのだと、その魅力をひしひしと実感している。もともと、私は火にあたるのがとても好きだ。キャンプにいっても焚き火の前でぼおっとしているのは本当に落ちつくし、隔週の里山保育でも、大人達は焚き火をおこし、元気に遊ぶ子供たちを眺めながら火にあたりつつ珈琲を飲んだりもしている。そしてひとしきり遊びに飽きた子供たちも、マシュマロを焼いたり、いい具合に焼けた焼き芋を食べに来たりする。そんな時にも、焚き火というのは心も身体も、じんわりと暖かく癒されるものだと実感しており、その焚き火が家の中でできるなんて、こんなに楽しいことはない。

 薪ストーブは家中を暖めてくれる。我が家は吹き抜けがあり、そこに薪ストーブを設置しているので、その空気が二階に行き、私のアトリエと寝室がとても暖かく心地よい。そして二階にあるファンが空気を循環させて、家の中で寒いと感じる場所がなくなった。うちの遊びにきた両親は「確かに温かいけれど、毎日火をつけるなんて面倒。ガスストーブのほうが便利なのにねえ。」などと言っていたけれど、私はこの火をつける作業もとても好きだ。新聞紙を丸めて、その上に細い小枝を置き、だんだんと太い枝を重ねてから下の新聞紙に火をつけると、パチパチという音と共に、赤い炎がメラメラと燃え上がる。その瞬間が好きで、しばらくじっと眺めている。

 心配していた薪も、幸いなことに、お金を出して買うことはなく、全て譲って貰うもので賄えている。去年は夫が市の里山保全のボランティアに出かけ、そこで伐採の手伝いをして沢山の丸太をもらってきたり、工務店から端材をわけてもらったり、地主さんから伐採後の丸太を譲ってもらったりしている。こうやって、どこかで不必要になった木材を燃やして暖をとれるのはありがたいことだなあと思う。

 チェーンソーや斧を使って薪割りをするのは夫の仕事。そして、その薪を収納する棚は、去年友人たちが力を貸してくれたことで、とても立派な薪棚が出来た。春から夏に薪を割って、冬にはその薪を燃やすなんて暮らしは、少し前までは想像も出来なかったけれど、今は自然と自分の毎日に馴染んでいるのが嬉しくもある。



2013年2月3日日曜日

また、始めてみます。


1年近く放置してしまったこのWeblog、また少しずつ書き留めていきたいと思う。というのは、最近、「ああ、Weblogを綴っていて良かったなあ」と思うことが幾つかあったから。古いものも合わせると、もう8年くらいは続けているこのWeblog。途中、書かない期間があったりもしたけれど、ある時期は毎日のようにスケッチと日々の文章を載せていたりもした。子供が産まれる前とはいえ、毎日スケッチと文章とは、我ながらよく書いたなあと思う。

このWeblog内はごく個人的なことであるし、誰かのためになるようなものでもない。そして、最近はfacabookやTwitterなどで簡単に投稿できることもあって、Weblogを再開したところで、読む人はいるのかなあという気もする。でも、その嬉しかったことというのは、facebookなどでは絶対に繋がらないような人との交流であり、そんな風に見知らぬ人からとても温かい手紙(mailだけれども)を頂くのは、本当に嬉しいなあと思ったのだ。だから、また始めてみようと思った。そして、また、前のように誰に向けるわけでもない文章を綴りたいと思ったことも一つ。

私はやはり文章を書くことが好きだと思う。でも、その文章を書く力というのは、書かなくなると衰えるなあというのも感じている。だから、どこまで続くかわからないけれど、また少しずつ綴っていこうと思う。

そしてもう一つ、新しいカメラを買ったので、そのカメラを持っての散歩日記なども載せてみたいなと思ったこと、今は仕事でやむを得ず離れて暮らしている夫に、娘との日常を伝えたいと思ったことも、密やかな理由の一つ。

久しぶりの写真はお正月に家族で過ごしたホテルの前から撮った富士山。このときはまだ古いカメラで撮ったのだけど、天気に恵まれてとても素晴らしい富士山を拝むことが出来た。